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画竜点睛を欠く

タイトルの如く不完全燃焼なアラフォーブログ 本と音楽と映画が主軸

高度な精神性を実現していた 『インディアンの言葉』

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インディアンの言葉

インディアンの言葉 (コレクション「知慧の手帖」)

インディアンの言葉 (コレクション「知慧の手帖」)

※インディアンとは蔑称であるという意見にはごもっともという解釈しかないのだが、ここでは使用されているタイトルのとおり表記しますのでご容赦頂きたい。

インディアンとは文字通り採ればそれはインド人を指すことになります。しかしここではその呼称の方々ではないネイティブ・アメリカンのことを指す言葉として使用されています。

本書の狙いは西洋文明とは相対したインディアンの哲学、知恵、言葉を広く知れ渡るように手を尽くすという壮大な軌跡を描くための本であるということです。

それではインディアンがどのような言葉を現代の我々に残してくれたのか多少ですが、一節づつ紹介していきます。

ウォーキング・バッファローことタタンガ・マニ(1871-1967)

私たちは、法律というものを持たなかった人間です。しかし、私たちは、万物を創造し、そこに秩序をあたえている「グレート・スピリット(大いなる霊)」と、じつに好い関係を保ち続けてきたのです。あなた方白人は私たちを野蛮人だと言います。

中略

その信仰は私たちのことを異教徒扱いした白人たちの、善なるものへの信仰よりも、はるかに深く、強いものなのです。自然と自然の世界に秩序をあたえているものの近くで生きてきたインディアンは、けっして、蒙昧の闇を生きているのではありません。

あなた方は、樹々が語るのを、聞いたことがありますか。じっさい、樹は話をするのです。樹々はお互いに会話していて、もしもあなた方がそれに耳を傾けさえするならば、あなた方にだって、樹は話しかけてくるでしょう。ところが、困ったことに、あなた方白人は、樹々の声などに、耳を傾けようともしなかった。だいたい、白人はインディアンの言うことにさえ、耳を貸そうとはしなかった人たちなのですから、自然の声などに心を開こうはずもありませんでした。けれども、樹々は私に、たくさんのことを教えてくれました。ある時は天候について、ある時は動物たちのことについて、そしてある時は「グレート・スピリッツ」について、教えてくれたのです。

日本にも神道によるアミニズム信仰があり、非常によく似ています。すべてものに霊が宿るとした考えは汎心論として大きな括りを形成していて、こういった思想背景は古くから広く普遍的なものとされています。

もちろんこういった話には懐疑的だとする主張も否定は出来ません。見えないもの、聞こえないものに対し、その存在を信じ切れるといった強い思いは普通湧かないものであると考えます。ただ当てつけとして白人に対し聞く耳を持たないとする比喩として大いなる自然を用いているのかもしれません。

ブラックフット族の首長、クロウフット(1821-1890)

いのちとは何か

それは、夜を照らす蛍のきらめき

凍てつく冬の空気に野牛の吐く吐息

草の上に落ちつかない姿を映しながら

日没とともに消えていく、ちっぽけな影

全て儚げなものばかりですね。とても存在が希薄なもので瞬時になくなってしまうことが、いのちなのでしょう。圧倒的な自然という存在に比べるととても小さく弱い存在でしかないのが人間だと思いますが、少なくともその瞬間は存在しえることの出来るいのちであるのではないかと前向きに捉えてみたいと思いました。

ネズベルセ族のスモハラ

前略

白人よ、お前たちは私に、大地を耕せ、と要求する。この私に、ナイフを手にして、自分の母の胸を裂け、と言うのか。そんなことをすれば、私が死ぬとき、母親はその胸に、私を優しく抱きとってはくれないだろう。

白人よ、お前たちは私に、金鉱を探すのだから、穴を掘れ、と要求する。大地の骨を盗み出すために、その肌に穴を開けろ、と言うのか。そんなことすれば、私が死ぬとき、大地の胎内に入ることのできなくなった私は、二度と生まれかわることができなくなってしまうだろう。

白人よ、お前たちは私に、草を刈れ、と要求する。それを干し草にして、売って、自分たちと同じような金持ちになれ、と要求する。しかし、母親の髪を切るような、礼儀知らずの真似が、いったいこの私にできようか。

大地は母なる存在として大事に扱わなければならないとする言葉です。母に対して敬意のない態度を執れば、その行動如何により自分自身が報いを受ける羽目になるんだよという戒めを提示してくれています。

ウィントゥ族の老婆

白人たちは、大地や鹿や熊たちのことを、いつも馬鹿にしています。私たちインディアンは、獲物を射止めたときには、その身体を残さずに全部食べます。根っこを引き抜いたり、家を立てたりするときも、小さな穴を掘るだけです。イナゴを退治するために、野焼きをするときも、私たちは全部を焼き払ったりは、けっしてしないのです。

どんぐりや松ぼっくりを落とすために、私たちは、枝を揺するだけです。木を伐ることもしません。枯れ木を使うだけです。ところが、白人たちは、地面を耕し、木々を伐り、ありとあらゆるものを殺すのです。木が叫んでいます。「やめておくれ。痛いよ。私を傷つけないでおくれ」と。それなのに、白人たちは、木を伐り倒しては、バラバラに解体します。大地の霊は、そのことを憎んでいるのですよ。白人たちは木々を引き抜いては、大地の霊を、心底からおびえさせているのですよ。

大地の霊が、白人を愛するなどということはないでしょう。白人が手を触れた場所のいたるところで、大地の霊は、深く傷ついてきたのですから。

白人の行いを注視、警戒していた方だから発することの出来る言葉のようです。greed(強欲)という英単語が示す通り、際限ない欲望に駆られた人間の行いは自然を破壊し尽すところまで行きついていて、そのことに対してこの言葉は警告をしているのだと思われます。今起こっている異常気象の一因もこれが起因していると言えなくもありません。インディンアンは自然環境のバランスを重視していたのです。

イロクォイ族の祈りの言葉

われらはわれらを支えてくれる、母なる大地に感謝します。水を運ぶ河と小川に感謝します。病気を治す力をもったさまざまな薬を恵んでくれる、植物たちに感謝します。われらの生命を育むトウモロコシと、その仲間のそら豆とカボチャに感謝します。果実を実らせてくれる生け垣と木々に感謝します。太陽が沈んだのちも、闇を照らす光をあたえてくれる、月と星々に感謝します。われらの祖父である「ノヘ」に感謝します。彼はわれら孫たちを、呪術師と蛇とサソリから守り、雨を降らせてくれます。われらはまた、慈悲深い眼差しで大地を見つめてきた太陽に、感謝します。あらゆる良きものを身にまとい、われら子供らの幸福のため、万物を導いてくださる「グレート・スピリット」に、われらは感謝をささげます。 

ありとあらゆるものに感謝をささげるインディアンの祈りです。万物、森羅万象に対して感謝することで普段感じ事が薄くなるようなことでも忘れずありがたさを実感出来るような思いが込められているようです。

まとめ

ヨーロッパからの侵入によって徹底的に征服されることになったインディアン。完全に価値観の違った両雄が相対したことによるギャップが対話などを不可能としたのだろうということがよくわかりました。西へ西へと追いやられて最後には絶滅に瀕した部族も数多く存在します。そんな中でも果敢に生き抜いたものは、現代にも伝統を引き継ぐ形でこの精神を守り続けています。インディアンの代表的な名物としてタコーズなどを使用したジュエリーなどの装飾品がとても有名です。これからもこの精神性が未来に語り継がれていくことでしょう。